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所蔵数 1 在庫数 1 予約数 0

書誌情報サマリ

書名

二見浦百首 藤原定家 拾遺愚草注釈

著者名 佐々木多貴子 浅岡雅子 神谷敏成/共著
出版者 桜楓社
出版年月 1981
請求記号 N9111-4/01626/


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No. 所蔵館 資料番号 資料種別 配架場所 別置 帯出 状態
1 鶴舞0110642113一般和書2階書庫 在庫 

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書誌詳細

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請求記号 N9111-4/01626/
書名 二見浦百首 藤原定家 拾遺愚草注釈
著者名 佐々木多貴子   浅岡雅子   神谷敏成/共著
出版者 桜楓社
出版年月 1981
ページ数 229p
大きさ 19cm
一般注記 付:本歌・主要参考歌等一覧
分類 911148
書誌種別 一般和書
タイトルコード 1009210161729

要旨 東京芸術大学の前身、東京美術学校の波乱の歴史を『東京芸術大学百年史』を手掛かりに、鮮やかに描き出す。岡倉天心、フェノロサ、黒田清輝、そして横山大観…彼らは西洋とどのように向き合い、日本美術を模索したのか。それは国粋と国際派の勢力争いの中、戦争へと突き進む時代の、日本美術の葛藤の歴史でもあった。
目次 第一章 日本はいつ西洋と出会ったか―キーワードは遠近法
第二章 ジャポニスムの誕生―慶応三年パリ万国博覧会への参加
第三章 欧化を急げ―明治初期の国際主義的文化政策
第四章 反動としての国粋主義の台頭
第五章 美術学校設立の内定とフェノロサ、岡倉の欧米視察旅行
第六章 国粋的美術学校の理念の確立にむけて
第七章 開校された美術学校―フェノロサ、岡倉の教育プログラム
第八章 図案科、西洋画科の開設と岡倉の失脚
第九章 一九〇〇年パリ万国博覧会への参加
第一〇章 正木直彦校長時代の三〇年と七ヶ月
第一一章 和田英作校長時代の四年間
第一二章 戦時下の東京美術学校とその終焉
著者情報 新関 公子
 1940年新潟県長岡市生まれ。1965年東京芸術大学大学院修士課程修了、東京芸術大学芸術資料館(現東京芸術大学大学美術館)に勤務(‐1974年)。2002年東京芸術大学美術館教授、現在、名誉教授。専攻、美術史。2012年『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(ブリュッケ、2011)で吉田秀和賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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