蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
| No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
| 1 |
鶴舞 | 0237288279 | 一般和書 | 2階開架 | 人文・社会 | | 在庫 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
| 請求記号 |
130/00117/ |
| 書名 |
光の形而上学 知ることの根源を辿って |
| 著者名 |
山内志朗/編
納富信留/[ほか]著
|
| 出版者 |
慶應義塾大学言語文化研究所
|
| 出版年月 |
2018.2 |
| ページ数 |
3,273p |
| 大きさ |
22cm |
| ISBN |
978-4-7664-2500-0 |
| 分類 |
1304
|
| 一般件名 |
哲学
|
| 書誌種別 |
一般和書 |
| 内容紹介 |
世界の初めに、光を置くのか、言葉を置くのか。その違いは世界観の対立を表すものなのだろうか。古代ギリシアからルネサンス、中近世まで、知の歴史における2つの問題圏<光と存在>をめぐって、気鋭の論者たちが挑む。 |
| タイトルコード |
1001710095556 |
| 要旨 |
米欧との“文明の戦い”に挑む「空気」は、こう作られた。自己喪失とリアリズムの霧散。そこに到るまでの必然を、明治・大正・昭和の人々の苦悩と葛藤のうちに描き出す。政治テロはなぜ起きるのか!? |
| 目次 |
第1章 「明治の精神」は、どう終わっていったのか 第2章 「教養主義」は、なぜ無力だったのか(大正1) 第3章 「大衆社会」は、何をもたらしたのか(大正2) 第4章 「ぼんやりとした不安」が導いたもの(昭和1) 第5章 肥大化する「空気」と、自己喪失(昭和2) 第6章 日本近代とは何だったのか? |
| 著者情報 |
浜崎 洋介 1978年生まれ。文芸批評家。雑誌『表現者クライテリオン』編集委員。日本大学芸術学部非常勤講師。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
-
1 プラトン「太陽」の比喩
5-25
-
納富 信留/著
-
2 光の超越性と遍在性
初期ギリシア教父における光とロゴスをめぐって
27-50
-
土橋 茂樹/著
-
3 プロティノスにおける光と言語の形而上学
51-77
-
樋笠 勝士/著
-
4 中世存在論における唯名論
実体論批判としての唯名論
81-99
-
山内 志朗/著
-
5 トマス・アクィナスにおける「光の形而上学」の可能性
101-126
-
上枝 美典/著
-
6 太陽の光はなぜ熱いのか
ロバート・グロステストの『太陽の熱について』
127-147
-
神崎 忠昭/著
-
7 15世紀シエナ美術における光と影
サッセッタ作<聖痕を受ける聖フランチェスコ>の場合
149-179
-
遠山 公一/著
-
8 東方キリスト教圏の光に関する体験的言説とその特質
183-210
-
谷 寿美/著
-
9 弾む御言、差し込める光
中世ドイツの宗教と世俗文学に現れた光をめぐる言説
211-232
-
香田 芳樹/著
-
10 神の光、そして預言者とイマームたちの光
イスマーイール派によるクルアーン「光の節」の解釈
233-258
-
野元 晋/著
-
11 同一性と指示詞に基づく論理体系
259-268
-
藁谷 敏晴/著
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