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ぞうしょじょうほう

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しょしじょうほうサマリ

本のだいめい

回想音楽の街私のモスクワ

書いた人の名前 小野光子/著
しゅっぱんしゃ 朔北社
しゅっぱんねんげつ 2011.3
本のきごう 7621/00197/


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No. としょかん 本のばんごう 本のしゅるい 本のばしょ くわしいばしょ せいげん じょうたい
1 2431814603一般和書一般開架 在庫 

かんれんしりょう

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しょししょうさい

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本のきごう 7621/00197/
本のだいめい 回想音楽の街私のモスクワ
書いた人の名前 小野光子/著
しゅっぱんしゃ 朔北社
しゅっぱんねんげつ 2011.3
ページすう 506p
おおきさ 20cm
ISBN 978-4-86085-096-8
ぶんるい 7621
いっぱんけんめい モスクワ-紀行・案内記
こじんけんめい 小野光子
本のしゅるい 一般和書
ないようちゅうき 小野光子経歴と関連事項:p499〜506
ないようしょうかい 日本におけるロシヤ歌曲の先駆者・小野光子。恩師ドルリアクとその夫リヒテルとの公私にわたる長年の交流、4回務めたチャイコフスキー・コンクールの審査員、ソヴェト・コンサート・ツアーの経験などを回想する。
タイトルコード 1001110002694

ようし ソプラノ歌手小野光子は日本人初のモスクワ音楽院留学生。日本の楽壇に初めて系統的にロシア歌曲を紹介、東京芸術大学の教師としても多くの演奏家を育てる。本書は、恩師ニーナ・ドルリアクとその夫で20世紀最大のピアニスト リヒテルとの公私にわたる長年の交流、4回務めたチャイコフスキー・コンクールの審査員、3年間に180回のソヴェト・コンサート・ツアーの経験などを、ユニークな文章で回操したものである。
もくじ 第1章 ニーナ先生とリヒテル
第2章 モスクワ音楽院留学記(はじめの半年に(一九五六(昭和三一)年三月〜八月)
残る四年の歳月の中で(一九五六(昭和三一)年九月〜一九六〇(昭和三五)年七月))
第3章 私のソ連各地コンサート・ツアー(一九六五、六六、六七(昭和四〇、四一、四二)年)一八〇回の演奏会
第4章 リヒテルの来日コンサート
第5章 チャイコフスキー・コンクール声楽部門―記録と物語
ちょしゃじょうほう 小野 光子
 1927年鎌倉で生まれ。1949年東京芸術大学を卒業したソプラノ歌手。父は築地小劇場等の左翼演劇運動に携わった小野宮吉、母は東京音楽学校を卒業し当時国際的活躍も期待されたソプラノ関鑑子、戦後「うたごえ運動」の指導者として著名。東西の冷戦時代に、母がレーニン平和賞を受賞したことも与って、モスクワ音楽院に留学、以来ロシヤ歌曲との長いつきあいが始まった。留学時代を終え、数年後さらにソ連国内を隈無くといっていいほど広範囲に180回の演奏旅行でまわっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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