ぞうしょじょうほう
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しょしじょうほうサマリ
本のだいめい |
趙紫陽 中国共産党への遺言と「軟禁」15年余
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書いた人の名前 |
宗鳳鳴/著
高岡正展/編訳
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しゅっぱんしゃ |
ビジネス社
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しゅっぱんねんげつ |
2008.8 |
本のきごう |
3122/00209/ |
本のばしょ
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
としょかん |
本のばんごう |
本のしゅるい |
本のばしょ |
くわしいばしょ |
せいげん |
じょうたい |
1 |
鶴舞 | 0235253077 | 一般和書 | 2階開架 | 人文・社会 | | 在庫 |
かんれんしりょう
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しょししょうさい
この資料の書誌詳細情報です。
本のきごう |
3122/00209/ |
本のだいめい |
趙紫陽 中国共産党への遺言と「軟禁」15年余 |
書いた人の名前 |
宗鳳鳴/著
高岡正展/編訳
|
しゅっぱんしゃ |
ビジネス社
|
しゅっぱんねんげつ |
2008.8 |
ページすう |
492p |
おおきさ |
21cm |
ISBN |
978-4-8284-1441-6 |
ぶんるい |
31222
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いっぱんけんめい |
中国-政治・行政
中国共産党
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こじんけんめい |
趙紫陽
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本のしゅるい |
一般和書 |
ないようちゅうき |
趙紫陽年譜:p490〜492 |
ないようしょうかい |
「第2次天安門事件」で総書記の座を追われ、亡くなるまで軟禁されていた趙紫陽。天安門事件の真相から、「中南海」の人間関係、社会主義・共産党の歴史的総括と将来性まで、一党独裁国家元トップが発した貴重な本音を伝える。 |
タイトルコード |
1000810085214 |
ようし |
趙紫陽は、「第2次天安門事件」で、武力鎮圧に異議を申し立て、総書記の座を追われた人物である。亡くなるまでの15年余りにわたり、北京の一角に軟禁された。数十年来の戦友であった著者が密かに100度以上通い、趙紫陽の発言を書きとめたのが本書である。天安門事件の真相から、「中南海」の人間関係、社会主義・共産党の歴史的総括と将来性まで、本音が詰まった一書である。 |
もくじ |
「己で選択したことだ」 二つの過渡期についての見方 趙紫陽が第13期4中全会で行なった弁明 二つの奇妙な現象 一つの問題がもつ二つの側面 社会の進歩を表す新指標を検討する 〓(とう)小平の特殊な影響 発展途上国は革命成立後に社会主義を実施してはならない 〓(とう)小平の「南巡講話」に対する見解 改革の理論と中国改革の特色〔ほか〕 |
ちょしゃじょうほう |
宗 鳳鳴 河南省濮陽出身。1920年1月19日生まれ。1938年に中国共産党に入党し、県委員会書記、地区委員会宣伝部部長、副書記を務め、長らく趙紫陽と仕事をともにした。日本軍占領地区での5回にわたる治安維治活動、および国共内戦を経験する。1952年に貴州安順地区委員会副書記となる。同年、北京航空学院政治補導処の主任へと転属。1953年に中国人民大学の院生クラスに入り経済を学ぶ。1955年、北京工業学院の党委員会書記。1957年、北京航空学院に入り航空エンジンについて専門に学ぶ。卒業後に趙紫陽から湛江市の責任者としての要請を受けたが断っている。1962年からハルビン航空発動機製造廠の中心的指導者および技師長として赴任する。文革後は北京に戻り企業改革の模索を始め、北京航空学院の中心指導者および高級技師となった。1980年代の半ばからは黄河の中下流域の貧困地区における農村調査と、貧困救済・自立支援プロジェクトに従事し、その後に国家経済体制改革研究会の常務理事となる。1990年に北京航空学院を退職。1993年には国家経済体制改革研究会に在任中ながら引退した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 高岡 正展 1943年広島県広島市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。長年、雑誌の編集・執筆に携わる一方、英語・中国語の翻訳を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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