感染拡大防止のため、本を読む前、読んだ後は手を洗いましょう。みなさまのご協力をお願いします。

検索結果書誌詳細

  • 書誌の詳細です。 現在、この資料への予約は 0 件あります。
  • ・予約するときは「予約カートに入れる」ボタンをクリックしてください。予約するには図書館窓口で発行したパスワードが必要です。
    ・「予約カートに入れる」ボタンが出ない書誌には予約できません。
    詳しくは「マイページについて-インターネットで予約するには」をご覧ください。

蔵書情報

この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。

所蔵数 1 在庫数 1 予約数 0

書誌情報サマリ

書名

東京にオリンピックを呼んだ男 (角川文庫)

著者名 高杉良/[著]
出版者 KADOKAWA
出版年月 2018.1
請求記号 F7/04861/


この資料に対する操作

カートに入れる を押すと この資料を 予約する候補として予約カートに追加します。

いますぐ予約する を押すと 認証後この資料をすぐに予約します。


登録する本棚ログインすると、マイ本棚が利用できます。


資料情報

各蔵書資料に関する詳細情報です。

No. 所蔵館 資料番号 資料種別 配架場所 別置 帯出 状態
1 中村2532338254一般和書一般開架文庫本在庫 

関連資料

この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。

書誌詳細

この資料の書誌詳細情報です。

請求記号 F7/04861/
書名 東京にオリンピックを呼んだ男 (角川文庫)
著者名 高杉良/[著]
出版者 KADOKAWA
出版年月 2018.1
ページ数 621p
大きさ 15cm
シリーズ名 角川文庫
シリーズ巻次 た13-32
ISBN 978-4-04-106262-3
分類 9136
一般件名 ワダ,フレッド・イサム-小説
個人件名 Wada,Fred Isamu
書誌種別 一般和書
内容紹介 戦争中、収容所入りを拒み、ユタ州キートリーで農園の経営に挑戦。戦後、ロサンゼルスでマーケット経営に成功し、祖国日本への支援を惜しまず、東京オリンピック招致に身を挺した-。“真の愛国者”和田勇の生涯を綴る。
タイトルコード 1001710088919

要旨 二人で182歳の頂上対談ついに実現!日本を代表する二大長老が初めて語り合った「命の使い方」の極意。
目次 第1章 「本分」をもって生きるということ(三〇年前の印象的な出会いの時、ドクター日野原がおっしゃったクスリになる言葉
社会が豊かになり、人が贅沢になったのと引き換えに、見失ってしまった大切なこと ほか)
第2章 日本人の大きな忘れ物(成績よりも人づくり。陸軍幼年学校で人間としていちばん大切なものを教えられた
生涯を愛と夢に生き、理解されないなかでも信念を貫いた父に教えられたこと ほか)
第3章 逆境は乗り越えるためにある(人生に障害はつきものだが、長く生きていれば必ず逆転のチャンスが訪れる
「ニンジン泥棒」と「みかん交渉」―極限になると人間は裸になってしまう ほか)
第4章 命の使い方を考えて深く生きる(人間の価値は階級や肩書きではなく、その人の愛情の深さで決まるもの
死の床にあった“地獄谷病院”で回復を心から願ってくれたロシア人女性がいた ほか)
第5章 いくつになっても勇気とロマンを(生き方に感銘を受けた人を見習って、人生のモデルを決めよう
人生のモデルになりそうな人を探して本を読んでみると、読書が楽しくなる ほか)
著者情報 日野原 重明
 1911(明治44)年10月4日山口県生まれ。京都第三高等学校から京都帝国大学医学部に入学。22歳の時、結核で1年間の闘病生活。医学部卒業後、同大大学院で心臓学専攻、博士課程。1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長代理、院長を経て、現在、聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護大学理事長・同名誉学長、(財)ライフプランニング・センター理事長。終末期医療の普及、医学・看護教育にも尽力。「生活習慣病」という言葉を生み出し定着させるなど、「患者参加の医療」を目指して、つねに医療の最前線で時代をリードしてきた。現在も現役医師として活躍するほか、最近は、75歳以上の健やかな「新老人の会」を提唱し、同会会長を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
瀬島 龍三
 1911(明治44)年12月9日富山県小矢部市生まれ。’32年に陸軍士官学校、’38年に陸軍大学を首席で卒業。’39年、大本営参謀部員となり、その後関東軍参謀に転じる。’45年敗戦後、満州でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留される。11年後の’56年に帰国。’58年伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長、機械第3部長を経て、’61年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に起用され、総合商社への脱皮を図る伊藤忠の近代化に手腕を発揮した。’62年取締役、’63年常務、’68年専務、’72年副社長、’77年副会長を経て、’78年会長となる。’81年に中曾根康弘から臨時行政調査会委員の就任要請を受け、3月第2次臨調委員となり、伊藤忠は相談役に。’87年特別顧問。2000年退任。現在も80以上の肩書きを持つ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


内容細目表:

前のページへ

本文はここまでです。


ページの終わりです。