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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 2010690598 | 6版和書 | 2階書庫 | | 禁帯出 | 在庫 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
S702/00100/5 |
書名 |
芸術の歴史 5 |
著者名 |
ヴァン・ルーン/著
玉城肇/訳
|
出版者 |
新評論社
|
出版年月 |
1956.1 |
ページ数 |
181,23p 図版10p |
大きさ |
18cm |
一般注記 |
鮎書房 昭和18年刊の改訳新版 |
原書名 |
The arts |
分類 |
702
|
一般件名 |
芸術-歴史
|
書誌種別 |
6版和書 |
タイトルコード |
1001010076954 |
要旨 |
問題は、政治というものを受けとめにくくしているわれわれのスタンスの問題なのではないか。そうした観点からウェーバーを見直したらどうだろうか。ウェーバーの「価値自由」もわれわれはあまりに「政治の嫌いな」学者のサイドから見ていたのではないか。ウェーバー自身はむしろ逆のスタンスをとっていた、とろうとしていたのではないか。こういう観点から、これまで自分自身の暗黙のうちに前提としていたウェーバー像をあらためて考え直してみること。これが前著『ウェーバーの政治理論』を書いて後の一連の仕事の基本となった。 |
目次 |
序章 ウェーバーに政治理論はあるか―レオ・シュトラウスの批判によせて 第1章 憂鬱なる政治の科学―ミヘルスとウェーバー 第2章 教育者としてのグスタフ・シュモラー―ウェーバーとドイツ歴史学派経済学 第3章 理解という方法―ジンメルとウェーバー 第4章 責任倫理の系譜学―ニーチェとウェーバー 終章 学問と政治の間に |
内容細目表:
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