蔵書情報
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書誌情報サマリ
| 書名 |
接続された身体のメランコリー <フェイク>と<喪失>の21世紀英米文化
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| 著者名 |
高村峰生/著
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| 出版者 |
青土社
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| 出版年月 |
2021.4 |
| 請求記号 |
9302/01067/ |
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
| No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
| 1 |
鶴舞 | 0237858931 | 一般和書 | 2階開架 | 文学・芸術 | | 在庫 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
| 請求記号 |
9302/01067/ |
| 書名 |
接続された身体のメランコリー <フェイク>と<喪失>の21世紀英米文化 |
| 著者名 |
高村峰生/著
|
| 出版者 |
青土社
|
| 出版年月 |
2021.4 |
| ページ数 |
256p |
| 大きさ |
19cm |
| ISBN |
978-4-7917-7365-7 |
| 分類 |
93027
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| 一般件名 |
英文学
映画-アメリカ合衆国
ロック音楽
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| 書誌種別 |
一般和書 |
| 内容紹介 |
21世紀の英米文化をかたちづくってきた<スター>の作品はなにを演じ、なにをうたっていたのか。気鋭のアメリカ文学者が、文学と身体の、映画と国家の、音楽と表象の結節点を精緻に解きほぐす。 |
| タイトルコード |
1002010104012 |
| 要旨 |
哲学のもっとも根本的な問題の探求をめぐるアリストテレス(前384‐322)の一群の論文を集録した書。千数百年にわたって西洋の世界観に決定的な影響を与えたばかりでなく、西洋哲学の多くの基本概念を生み出した著作で、ここに示される問題分析の態度や発展流動する弁証法的思考方法は永久に研究者の模範となるものである。 |
| 目次 |
すべての人間は知るを欲する。人間の知能は感覚から、記憶、経験知、技術知を経て、知恵(理論的な認識・学・哲学)に進む。知恵または哲学は第一の原因や原理を対象とする棟梁的な学である。 知者(知恵ある者)についての一般の見解から推して知られる知恵の諸特徴。我々の求める最高の知恵(神的な学)の本性と目標。 我々の主張する四種の原因(本質または形相因と質料因と始動因と目的因)。―最初の哲学者たちは、まず質料を原因としてあげ、ついで始動因の必要を認め、アナクサゴラスは目的因にも気づいた。 しかしかれらの原因の使い方は未熟であった。エンペドクレスの二つの相反する始動因。かれの四元素とデモクリトスの原子。 ピタゴラス学徒とエレア学徒の原因に関する見解。ピタゴラス学徒では本質(形相因)が暗に求められていた。 プラトン哲学の起源。プラトンの設定した三種の存在(諸々のイデアと感覚的事物とその中間のもの)。この哲学ではただ形相と質料との二種のみが原因として用いられた。 四原因に対するこれまでの諸哲学者の態度。 ソクラテス以前の諸哲学者の原因の使い方に対する批判。 プラトンのイデア説に対する批判二十三箇条。 結論、―以上の哲学史的考察は、求むべき原因の種類が、我々の主張する通り、四つあり、四つより多くも少なくもないことを確証する。〔ほか〕 |
内容細目表:
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1 自宅への流刑、あるいは思い出すことすら不穏当なことを思い出すこと
コロナの時代にカミュとアルトーを読む
7-42
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2 構築と落下
『インセプション』における重力
43-65
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3 背後の世界、あるいはあらかじめ喪われているものの彼方へ
ルー・リードとデルモア・シュウォーツ
67-79
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4 星条旗の(黒い)星のもとに
デヴィッド・ボウイと「アメリカ」
81-97
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5 Can I Be Real?
アメリカ時代のデヴィッド・ボウイにおけるフェイクとフェイム
99-115
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6 すべての荒廃の後で
アクロン、メンフィス、デトロイト、そしてパターソン
117-131
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7 記憶の揺曳/揺曳の記憶
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』における水と揺れ
133-149
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8 稲妻(の速さ)で歴史を書く
『國民の創生』と『ブラック・クランズマン』における引用、真実、歴史
151-166
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9 デュマは黒人だ
『ジャンゴ 繫がれざる者』における奴隷制度とその外部
167-182
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10 深い皮膚
『神よ、あの子を守りたまえ』における商品化された「黒さ」と触覚的身体
183-196
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11 接続された身体のメランコリー
ドン・デリーロの『ボディ・アーティスト』におけるメディアの存在論
197-224
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