蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 3130135340 | 一般和書 | 2階書庫 | | | 在庫 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
N933/07456/ |
書名 |
失われた日々 (ハーレクイン・スーパー・ロマンス) |
著者名 |
アンジェラ・アレクシー/作
西川和子/訳
|
出版者 |
ハーレクイン・エンタープライズ日本支社
|
出版年月 |
1987 |
ページ数 |
316p |
大きさ |
17cm |
シリーズ名 |
ハーレクイン・スーパー・ロマンス |
シリーズ巻次 |
102 |
ISBN |
4-8335-9102-2 |
分類 |
933
|
書誌種別 |
一般和書 |
タイトルコード |
1009410017186 |
要旨 |
同じ民族が争うことになった朝鮮民族の分断と混乱の続く困難な時代―1950年代―を文学はいかに生き抜いたか。植民地から解放されても朝鮮戦争の戦後、完全に南北に分断され交流を絶された人々の苦悩は続く。 |
著者情報 |
池 河蓮 1912‐1960 慶尚南道の居昌(コチャン)に生まれる。本名は李現郁(イ・ヒョヌク)。1940年、雑誌『文章』に「決別」を発表し作家となる。日本に留学し東京の昭和高等女学校に通ったと言われる。KAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の指導者であった林和(イム・ファ)の妻としても知られる。1945年8月15日の光復後は朝鮮文学家同盟に加担し、1947年に夫婦で越北するまでに多くの作品を発表した。主な作品に「道程」(1946、朝鮮文学賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 桂 鎔默 1904‐1961 平安北道生まれ。。1928年に日本の東洋大学・東洋学科に入学。渡日以前から、1920年に少年誌『鳥の声』に詩「寺子屋が壊れ」を発表して懸賞二等になるなど、詩や小説を執筆して作家としての頭角を現す。本格的活動は1927年、『朝鮮文壇』に小説「チェ書房」が当選してからである。1935年、同誌に「白痴アダダ」を発表し、作家としての地位を固める。その頃が彼の黄金期と評価されている。帰国後、朝鮮日報の出版部などでの勤務を経て、みずから出版社を設立している。「人頭蜘蛛」(一九二八)などに代表される初期の作品は現実主義的、傾向派とされるが、次第に芸術重視の作品世界へと変わっていった。その後、韓国を代表する純文学作家となったが、社会活動も旺盛に繰り広げた。アジア自由文学賞(一九八三)を始めとし受賞多数。韓国の国民勲章柊柏章(一九六八)および牡丹章(一九七〇)も受けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 金 東里 1913‐1995 慶尚北道慶州(キョンジュ)に生まれる。本名は金始鍾(キム・シジョン)。母親が熱心なキリスト教徒だったことからキリスト教系の学校に通っていたが、1928年にソウルのキョンシン高等普通学校に編入。しかし、翌年に退学。その後は読書に没頭し、1934年に詩「白鷺」が朝鮮日報の新春文芸に入選、登壇。翌1935年に朝鮮中央日報の新春文芸に短編小説「花郎の後裔」が入選し、小説家としての執筆活動に入った。1936年には東亜日報の新春文芸にも「山火」で入選している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 孫 昌渉 1922‐2010 平壌(ピョンヤン)市生まれ。1935年に満洲に渡り、のち日本で複数の中学校課程で苦学し、日大にも在籍したという。1946年の朝鮮解放と同時に帰郷。1948年に越南。教師や雑誌社、出版社などを転々とし、1949年に短編「いじわるな雨」を『連合新聞』で発表。その後、短編「公休日」(1952)と「死縁記」(1953)を『文芸』で発表し作家デビュー。越南民の悲惨な避難生活を描いた「雨日和」(1953)で一躍注目を集め、「生活的」(1953)、「血書」、「人間動物園抄」(共に一九五五)などの作品を通じて著者ならではの悲観的かつ冷笑的な人間観を表出し、戦後の文壇を代表する若手作家のひとりとなった。一九七三年に日本に渡り、一九九八年帰化。二〇一〇年に東京で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 呉 尚源 1930‐1985 平安北道宣川郡(ソンチョングン)に生まれる。ソウル龍山高等学校を経て、ソウル大学仏語仏文学科卒。ソウル大在学時から同人活動を行っていたが、大学卒業と同時に東亜日報に入社した1953年に戯曲「錆びる破片」が劇芸術協会の公募に入賞し、文壇デビュー。1955年には短編小説「猶予」が韓国日報の新春文芸に入賞し、本格的に作家としての活動を開始した。その後、代表作とされる短編「謀反」などをはじめ、多数の作品を発表し、韓国の戦後世代文学を代表する作家のひとりに数えられている。一九五八年には「謀反」で第三回東仁文学賞を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 張 龍鶴 1921−1999 咸鏡北道の富寧(プリョン)に生まれる。ー九五〇年に短編「地動説」、一九五二年に短編「未練素描」で『文芸』誌の推薦を受けて文壇デビューした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 朴 景利 1926−2008 慶尚南道生まれ。本名は朴今伊(パク・クミ)。一九五五年に作家金東里の推薦で『現代文学』に短編「計算」を発表し、翌年の短編「黒黒白白」で本格的デビューとなる。五七年に発表した木書収録作品「不信時代」で第三回現代文学新人文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 呉 永壽 1914−1979 慶尚南道生まれ。号は月洲、晩年の号は蘭渓。文芸誌『白民』に「山の子」、「六月の朝」などの詩を発表して詩人としても活動する。ー九四九年以降、短編小説「山葡萄」(一九五〇)などを発表して小説家に転身する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 黄 順元 1915−2000 平安南道大同郡(テドングン)に生まれる。一九三四年に日本に渡り、就学。早稲田在学時に『三四文学』、『創作』、『断層』などで同人活動を行い、その頃から小説の執筆を始める。アジア自由文学賞(一九五五)、芸術院賞(ー九六一)、三・一文学賞(一九六六)などの文学賞を多数受賞するとともに、韓国の韓国国民勲章柊柏章(一九七〇)、金冠文化勲章(二〇〇〇)を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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