ぞうしょじょうほう
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
本のばしょ
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
としょかん |
本のばんごう |
本のしゅるい |
本のばしょ |
くわしいばしょ |
せいげん |
じょうたい |
1 |
鶴舞 | 0236836326 | じどう図書 | じどう開架 | | | 在庫 |
かんれんしりょう
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
Usman,Amina Madjid Usman,Abdoel Madjid インドネシア-歴史
しょししょうさい
この資料の書誌詳細情報です。
本のきごう |
エ/29885/ |
本のだいめい |
ひみつのいもうと |
書いた人の名前 |
アストリッド・リンドグレーン/文
ハンス・アーノルド/絵
石井登志子/訳
|
しゅっぱんしゃ |
岩波書店
|
しゅっぱんねんげつ |
2016.2 |
ページすう |
[28p] |
おおきさ |
26cm |
ISBN |
978-4-00-111255-9 |
はじめのだいめい |
原タイトル:Allrakaräste syster |
ぶんるい |
エ
|
本のしゅるい |
じどう図書 |
ないようしょうかい |
バーブロにはひみつのふたごの妹イルヴァ・リーがいる。バラのしげみの穴をおりていくと、イルヴァ・リーの金色の広間があって、プードルとうさぎを飼っている。2人は金と銀のたてがみを持つ馬に乗って冒険に出かけて…。 |
タイトルコード |
1001510112631 |
ようし |
インドネシア独立の志士マジッド・ウスマンを妻として支えた日本女性が語る、日本軍スマトラ占領計画秘史。スカルノ、ハッタと並び称されるインドネシア独立の志士、アブドル・マジッド・ウスマン。日本に学び、志を共にする長田周子と帰国した彼は、故国の独立に身を捧げ、言論の力で民衆を啓蒙する。300年にわたるオランダ支配に終止符を打った日本軍政に対する二人の期待は、やがて失望に変わり、家族の運命は危機に晒される。その裏にあったのは、日本のスマトラ植民地計画と本土決戦に備えた遷都計画だった― |
もくじ |
1部 日本での出会い(両親と私 独立国家への思い) 2部 蘭領東インドへ(結婚 民衆のカリスマ オランダの捕虜になる ほか) 3部 再び日本へ(日本軍のスマトラ島植民地計画 インドネシア共和国の誕生 新時代の幕開け) |
ちょしゃじょうほう |
アミナ・マジッド・ウスマン長田 周子 1914年山梨県中巨摩郡二川村(現甲府市)生まれ。1935年日本女子大学社会事業科卒業。ソーシャルワーカーとして活動する中でインドネシア独立運動家のマジッド・ウスマンに出会い、祖国独立への思いに共感、同志として1936年蘭領東インドに渡る。同年結婚。1955年夫の急逝により日本に戻り、以後、日本とインドネシアの両国を拠点としている。在日インドネシア婦人会会長等を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ウスマン,サルミヤ・マジッド 1939年蘭領東インドパダン市生まれ。1943年両親と共に来日。山梨大学教育学部付属小学校入学以来一貫して日本で教育を受ける。1964年日本国医師免許取得。1969年東京大学大学院医学系研究科第四臨床医学専攻博士課程単位修得。1970〜79年米、英、インドネシアで産婦人科診療に従事。1979〜2017年日本とインドネシア両国で産婦人科診療に従事。2017年母の『アミナ・マジッド・ウスマン回想録』を編集、ジャカルタ市OBOR社から出版。2018年母の介護のために日本に移住、今日に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
ないよう細目表:
前のページへ