蔵書情報
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書誌情報サマリ
書名 |
船井幸雄の「直感力」の研究 いかに人間性を高め、すばらしい未来を創るか
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著者名 |
船井幸雄/著
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出版者 |
PHP研究所
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出版年月 |
1993 |
請求記号 |
N141-4/00950/ |
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 2130904846 | 一般和書 | 2階書庫 | | | 在庫 |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
N141-4/00950/ |
書名 |
船井幸雄の「直感力」の研究 いかに人間性を高め、すばらしい未来を創るか |
著者名 |
船井幸雄/著
|
出版者 |
PHP研究所
|
出版年月 |
1993 |
ページ数 |
213p |
大きさ |
20cm |
ISBN |
4-569-53970-X |
分類 |
14144
|
一般件名 |
直覚
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書誌種別 |
一般和書 |
内容注記 |
付:船井幸雄著作目録 |
タイトルコード |
1009410194762 |
要旨 |
「慶長の役の最中、秀吉が病死したため日本は朝鮮から撤退。その後、徳川家康と石田三成の対立が深まり、関ヶ原の合戦がおこった」…学校で習った歴史は本当なのか?じつは、朝鮮からの撤退は秀吉が生前から検討し、遺言では、家康を後継者に指名、家康と三成の対立もなかった。であるなら、関ヶ原の合戦の対立の真の構図とは?目からウロコの歴史の真相が浮かび上がる! |
目次 |
「朝鮮出兵」で露呈した小西行長と加藤清正の諍い のちの関ヶ原へと続く、対立構造の萌芽を探る―第一部 天正二〇年四月〜慶長三年一月(秀吉による朝鮮出兵がはじまる 文禄・慶長の役は、明との戦争だった ほか) 戦争の最中、「家康政権」を遺言して逝った秀吉 最期まで精力的に指示を出し続けた秀吉の構想とは―第二部 慶長三年三月〜八月(豊臣秀吉は認知症や錯乱状態になったのか 豊臣秀吉は、なぜ徳川家康をたずねたのか ほか) 「朝鮮退き口」を指揮し戦勝を演出した家康 秀吉の没後、家康はいかに権力基盤を築いたか―第三部 慶長三年九月〜四年一月(秀吉が遺言した政権運営のガイドライン 最初は合議で出発した家康体制 ほか) 難航する「日明和談」と関ヶ原への道 内憂外患の危機を、家康はいかに脱しようとしたか―第四部 慶長四年二月〜一五年(捕虜の姜沆が残した詩とは 姜沆は明の捕虜とも会っていた ほか) |
著者情報 |
高橋 陽介 歴史研究者。1969年、静岡県浜松市生まれ。東海古城研究会・勝永座談会・佐賀戦国研究会・織豊期研究会に所属。関ヶ原の合戦の研究で最先端に位置する新進気鋭の研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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