蔵書情報
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
資料種別 |
配架場所 |
別置 |
帯出 |
状態 |
1 |
鶴舞 | 0237070362 | 一般和書 | 2階開架 | 文学・芸術 | | 在庫 |
関連資料
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アンリ・マティス ジョルジュ・ルオー ジャクリーヌ・マンク 後藤新治 パナソニック汐留ミュージアム
Matisse,Henri Rouault,Georges
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
請求記号 |
7233/00929/ |
書名 |
マティスとルオー友情の手紙 |
著者名 |
アンリ・マティス/[著]
ジョルジュ・ルオー/[著]
ジャクリーヌ・マンク/編
|
出版者 |
みすず書房
|
出版年月 |
2017.1 |
ページ数 |
263,61p 図版19枚 |
大きさ |
22cm |
ISBN |
4-622-08564-5 |
ISBN |
978-4-622-08564-5 |
原書名 |
原タイトル:Matisse-Rouault |
分類 |
72335
|
個人件名 |
Matisse,Henri
Rouault,Georges
|
書誌種別 |
一般和書 |
内容紹介 |
パリ国立美術学校で出会って以来、50年にわたり手紙を交わし、家族ぐるみの交流をつづけたマティスとルオー。ふたりの巨匠の創作の舞台裏がわかる往復書簡集。手紙や絵画の図版、年譜なども収録。 |
書誌・年譜・年表 |
年譜:巻末p40〜61 |
タイトルコード |
1001610087986 |
要旨 |
気質も画風も好対照。そめゆえに惹かれ合い、ライバルとして高め合ってきたマティスとルオー。ふたりはパリ国立美術学校のギュスターヴ・モロー教室で出会って以来、マティスの死の直前まで50年にわたり手紙を交わし、家族ぐるみの交流をつづけた。恩師との思い出、フォーヴィスムの誕生、画商への愛憎、贋作騒動、「聖なる芸術」への熱情―ふたりの巨匠の創作の舞台裏。図版75点、詳細年譜、関連地図を収録。 |
目次 |
1906‐07年 サロン・ドートンヌ事件 1930年 ふたりのマティス 1934年 画商との確執 1937‐38年 絵付けと舞台美術 1941年 占領地区と自由地区 1944年 解放前夜 1945年 ボノムという画家 1946年 「黒は色である」 1947年 ヴォラール裁判 1949年 聖なる芸術 1951年 古いなかンま 1952年 ユネスコ世界会議 1952−53年 最後の邂逅に向けて―マティスへの質問状 1954年 エピローグ |
著者情報 |
マティス,アンリ 1869‐1954。1869年、ノール県ル・カトー=カンブレジの穀物卸売商人の家に生まれる。1887年パリに出て法律を学ぶが画家を志し、1892年国立美術学校のモロー教室に入る。1905年コリウール滞在中に試みた新印象主義的な表現を経て、同年のサロン・ドートンヌでは「フォーヴ」誕生の中心的役割を果たす。1917年ニース滞在期以降は自然主義的な画風に戻るが、デッサンと色彩とを融合する「切り紙絵」へと到達。1951年のヴァンス礼拝堂はその集大成である(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ルオー,ジョルジュ 1871‐1958。1871年、パリの家具装飾職人の家に生まれる。1885年ステンドグラス職人に弟子入りするが、絵画専念のため1890年国立美術学校ドローネー教室、92年モロー教室に入る。1903年サロン・ドートンヌ創設に参加。アカデミックな画法は一変し、道化師、娼婦、裁判官など社会的な主題が登場する。1920年代の銅版画集『ミセレーレ』制作以降、マティエールは豊かさを増し色彩はより輝かしくなる。晩年の油彩画は宗教的至高性へと到達した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) マンク,ジャクリーヌ 現在パリ市立近代美術館学芸部長。専門はフォーヴィスムを中心にした近現代美術史。重要な展覧会を国際的に企画監修(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 後藤 新治 1950年福岡県に生まれる。九州大学工学部卒業後同大学文学部修了。北九州市立美術館学芸員を経て、西南学院大学国際文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表:
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