ぞうしょじょうほう
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本のばしょ
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
としょかん |
本のばんごう |
本のしゅるい |
本のばしょ |
くわしいばしょ |
せいげん |
じょうたい |
1 |
鶴舞 | 0235425824 | 一般和書 | 2階開架 | 文学・芸術 | | 在庫 |
かんれんしりょう
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
しょししょうさい
この資料の書誌詳細情報です。
本のきごう |
757/00295/ |
本のだいめい |
シャルロット・ペリアン自伝 |
書いた人の名前 |
シャルロット・ペリアン/[著]
北代美和子/訳
|
しゅっぱんしゃ |
みすず書房
|
しゅっぱんねんげつ |
2009.6 |
ページすう |
445,9p |
おおきさ |
22cm |
ISBN |
978-4-622-07444-1 |
はじめのだいめい |
Une vie de creation |
ぶんるい |
7578
|
こじんけんめい |
Perriand,Charlotte
|
本のしゅるい |
一般和書 |
ないようしょうかい |
ブルーノ・タウトの後任として戦前の日本各地で工芸指導にあたったフランス人女性インテリアデザイナー、シャルロット・ペリアンがその波乱の生涯を語る。ル・コルビュジエや柳宗理らとの深い交流もしのばせた、20世紀デザイン史への証言。 |
タイトルコード |
1000910021976 |
ようし |
「私は決めた。ル・コルビュジエと仕事をする」。シェーズ・ロングほか名作家具を世に送り出し、日本の建築・工芸界と深く交流した女性建築家の創造の人生。20世紀デザイン史への貴重な証言。 |
もくじ |
1 ことの始まりは一九〇三年… 2 ル・コルビュジエ、開拓の時代 3 戦争―日本とインドシナ 4 実現の時代 5 レジャーの建築、設備と環境 6 無と空のあいだで |
ちょしゃじょうほう |
ペリアン,シャルロット 1903年、パリに生まれる。1925年、装飾芸術中央連盟付属学校卒業。1927年、サロン・ドートンヌで「屋根裏のバー」発表。同年、ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレのアトリエに入所し、住宅の内装と設備を担当。1928年にはル・コルビュジエ、ジャンヌレと共同でシェーズ・ロング、グラン・コンフォール、ドッシエ・バスキュランほかを製作、ラ・ロッシュ邸やチャーチ邸の設備を手がけた。1937年、同アトリエを辞職。1940年、商工省の招聘を受け、輸出工芸指導顧問として来日。1941年、東京・大阪高島屋にて「選択・伝統・創造」展開催。仏領インドシナで終戦を迎え、1946年、フランス帰国。ル・コルビュジエに乞われ、1947年よりマルセイユのユニテ・ダビタシオン設計に参加。1952年、アトリエ・ジャン・プルヴェと契約。以後プルヴェとの共同作業が続けられる。1967年より1988年までアルク山岳リゾート開発に参加。1983年、レジョン・ドヌール章受章。1996年、ロンドン王立美術学校より名誉博士号を授与される。1999年、パリにて逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 北代 美和子 1953年、東京生まれ。上智大学大学院外国語学研究科言語学専攻修士課程修了。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
ないよう細目表:
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